2008年を振り返る・私的編

さて、今年も残りあとわずか。というわけで今年、自分の周りで起きたことを語ってみようと思います。あくまでも私的な話なので需要は無いと思うが。

父の死

のっけから暗い話だが、個人的にこれ以上の出来事は無い。ちょうど一年前に膵臓ガンが見つかり、その後治療を続けてきたが、秋頃入院、そのまま帰らぬ人となった。享年65歳。
葬儀の最中は特にこれといった感慨も無かったが、式が終わり、一人での帰り道、突然涙があふれて止まらなくなった。

今にして思えば、もっといろんなことを話したかった。若いころの話、結婚について、仕事について、人生について、・・・などなど。去年「もってあと一年」と知らされたあと、一年、すなわち12ヶ月は語り合う時間があったはずなのに・・・。そのことについてはちょっと後悔している。
がもし、父が存命だったとしても気恥ずかしさやいろんな思いがあって、二人で語り合うなんてことはしなかっただろうな、という気もする。
しかし今でもときどき、一人でいるときなんかにふと父のことを思い出す。これから先もこうやってときどき父のことを思い出し、後悔の念にとらわれるのだろうか・・・?

そんな中、はてブで興味深く拝見したのが次の増田エントリ。
「死んだ○○が喜ぶと思うのか!」「喜ぶんじゃね」
今朝、祖母が亡くなったんだけど、葬式がめんどくさくて仕方がないの
上の「死んだ○○が・・・」は、母が孫(俺の甥)を叱る時の常套句。「そんなことしたらおじいちゃん悲しむでしょ!!」と言われて小学生の子がどう思うかまでは分からんけど。
後者は・・・。まさにそのころ葬式のことをいろいろ考えていたので、「いろいろ書きたいがうまくまとまらん。」と書いてブクマしたら、なぜか☆が2つ付いてたw
確かに葬儀は何かと金がかかる?だが、葬式全般の必要性についてはあまり考えたことがなかったのでちょっと新鮮なネタだった。
他の方のブコメを拝見すると、こちらもいろんな意見が飛び交っていて興味深かった。
僕が考えるのは、無くなった方がいる、でも生きてる人はこれからも生きていかなきゃいけない。なので一旦、葬式というイベント(?)で個人に感謝し、謝罪し、冥福を祈ることで亡くなった方への区切りみたいなものを作りたいのではないかと思っている。
ま、それでも俺の場合、ときどきふと父のことを思い出して、会いたい、でももう会えない、と思って複雑な気持ちになるのだけれど。

父が亡くなったことについての悲しみ、ダメ息子としての謝罪の気持ち、感謝の気持ち・・・などについてはコッソリプライベートモードの日記にでも書くとして。

で、葬儀の話だ。俺が思ったより出費が多かった。具体的な金額まで書く気は無いが、いずれ葬式について何か書くかも知れない。
あと、通夜ぶるまいや精進落としで親類が集まったとき、「ウチの爺さんが亡くなったときの葬儀はこんな感じだった」「ウチの親戚が亡くなったときの葬儀はこうだった」など、一口に葬儀と言ってもいろんなやり方があるんだなぁ、と感心した。
なので、こちらについても折を見て何か書くかも
そして、幼かったころの父との思い出を少しずつ書いていくかもしれない。

不況

これは主に仕事面で実感。僕が勤める会社でも、予定していたシステム案件が、お客様の予算の関係で頓挫、てな話を良く聞く。
IT系の資格取得?とったところでそれを活かせる仕事が見つかるだろうか。
新規開拓?もしこのまま不況がつづくのなら、いろいろ考えないといけないかも。

生活

4月に千葉県(東京との境目)から、東京都内に引越し。
都内と言っても23区外なので、以外に静かな住環境。

DSi購入

・・・これはどうでもいいニュースか。
前からDS欲しかったんだけど、ちょうどDSiが発売になったので買ってみた。
・・・いやぁ、おもしろい!付属のカメラ機能は甥っ子たちに大人気だし、普段ゲームと言えば携帯電話に入っている「ズーキーパー」くらいしかやらない同居人が「レイトン教授と最後の時間旅行」にドハマリしている。俺はと言うと、「ノスタルジオの風」をクリアし、「幻想水滸伝ティアクライス」をプレイ中、ときどき「リズム天国ゴールド」と言う感じ。


まずはこんなところかな。
そのうちネット編、コミックス編などについても書くかも。